「瞽女」を知っていますか

県立新潟女子短期大学教授(国際教養学科) 

板 垣 俊 一

 

 越後の村から村へ、門付けの旅をして歩いた盲目の女性たちがいました。彼女たちは三味線を弾きな がら流行り歌や物語歌を歌った旅のミュージ シャンでし た。こう言うと、いかにもロマンチックですが、彼女たちは盲人という障害者です。「もし次の世にまた生れてくることができたなら、おら、虫になってもいい から、目だけは見えるようになりたい。」 そう言っていたのは、長岡瞽女の小林ハルさんです。本学の非常勤講師もしている桐生清次先生の著書『次の世は虫 になっても 小林ハル口伝』(改訂版『最後の瞽女』)は、ハルさんのつらい人生を聞き書きした高著です。
 瞽女は、手引きと呼ばれる少し目の見える弱視の人を先頭に、3人、5人の小集団を作って村々を訪れます。門付けと言って、祝福の歌を歌いな がら家々を 廻ってお米やお金をもらうのですが、時には県境を越えて、隣県の福島・山形・群馬・長野にまで出かけました。それは、自分たちの生活の糧を得るためだけで はなかったのです。テレビもラジオも無かった時代、瞽女の歌を楽しみにして待っている人たちがいたからです。今でも瞽女の想い出を懐かしく話す年配の人た ちが魚沼地方をはじめ県内に沢山います。瞽女たちもまた、家にいるよりも旅をしているほうが張り合いがあって楽しいと言っていました。
 女性が盲目というハンディを背負って生きて行くことは今でも大変です。しかし瞽女たちにはどこか自信と明るさが感じられます。それは自分の 芸に誇りを持 ち、それを楽しんでくれる人々がいることを自覚しているからです。視覚障害者であるが故に、音感や記憶力については晴眼者(目の見える人)の及ばない能力 を持っていると私は感じます。
 しかし盲人女性の生きる道が厳しかったことも事実です。社会的弱者であった瞽女たちには、佐久間惇一著『瞽女の民俗』などに述べられている ように、集団 を維持するための厳しい〈掟〉がありました。結婚してはならない。男性と親密な関係を持ってはならない。しかし若い瞽女には、つい男の情にほだされて仲良 くなることもあったでしょう。そうなると瞽女仲間から外されます。水上勉の『はなれ瞽女おりん』は、そのような瞽女の小説です。その厳しい掟も時代ととも に緩みました。小林ハルさんの人生は、掟が緩んだ後の個人の欲望がむき出しになった時代の悲劇だとも言えます。
 ところで、瞽女は「ごぜ」と読みます。漢字の「瞽」には、目が見えないという意味と、音楽をつかさどる人の意味があって、瞽女の実態を良く 表しています が、しかし「瞽女(コジョ)」をゴゼとは読めませんので、意味上からの当て字と考えられます。古くは能役者なども「何々御前(ごぜ)」と呼ばれていまし たから、ゴゼは「御前(ゴゼン)」の音の省略形であり、目が見える人を含めて芸能関係の人を呼ぶ名称だったのです。県内では親しみや尊敬の念をこめて 「ごぜんぼ」とか「ごぜさ」などと呼ばれています。瞽女はもともと全国に居たのですが、人数も多くまた遅くまで盛んに巡業していたのは新潟県においてで す。長岡と高田が中心でした。
 瞽女を知ることは、障害者の問題だけでなく人間の生き方を考えるきっかけにもなると思いますし、また名も無き民衆の歴史を実感することにも つながると思 います。